東京のカタスミで、

山城ショウゴ

アクセスの良い場所

最近、自転車に乗っていない。

僕は自転車が好きだ。

こっちに引っ越してくる前は、毎日のように自転車を乗り回していた。

 

例えば用もなく、ちょっと河川敷の方へ、自転車でドライブに行った。

そのタイミングで、たまたま友達から電話がかかってきたりした。

何をしているのかと聞かれると、正直に、「河川敷に一人で座っている」と答えた。その度に、精神状態を心配されたりした。優しいやつらだなと、思った。

でもただ自分は、自転車に乗って河川敷に行って、川を眺めながら座っていたかったのだ。心配は不要だった。

 

地元に、お気に入りの場所があった。

河川敷の階段。川が見えて、空がとても広く見える場所。

そこによく一人で行っては、ボーーっとしていた。

その場所に行くと、落ち着いた。頭の中で色々な事が整理されて、昔の自分と、今の自分が繋がるような気がした。

 

 

人生の途中で。自分はそのどこかのタイミングで、中身が違う人間になってしまったのではないだろうかと、思う時がある。違う人間になる必要が、あったのではないかと。

 

 

それは成長とも言えるし、退化とも言える。ただの変化なのかもしれない。

それが、これからもずっと続いていくのだと思うと、ゾッとした。

 

だから僕は時々、あの場所に行って、「自分の人生はずっと一本の線で繋がっているのだ」という事を、確認しなくてはいけなかった。

 

 

今はもうその場所に、気軽には行けなくなってしまった。

 

 

自転車にも、気軽には乗れなくなってしまった。

 

なぜなら今の家の周りには、とても坂が多いのだ。

自転車に乗って、あの場所に行って、「自分の人生はちゃんと一本の線で繋がっているのだ」という事を確認しなくては、などとは言ってはられない。

自転車だっるー、という気持ちが勝ってしまう。

 

それもまた、変化だ。

 

確認する必要がなくなってしまった。確認しなくても、ある程度前に進めるように、なってしまった。大人になったとも言えるし、ただ鈍感になってしまっただけなのかもしれない。

それでも僕は、これからも変化し続けなくてはならない。その力には、逆らえない。

 

確認する必要がなくなってしまったとしても。

あの場所の代わりになるような所を、この街でもちゃんと見つけたい。

 

次はアクセスの良い場所が、良い。