東京のカタスミで、

山城ショウゴ

電車に現る 妖怪。

電車に一人で乗る時、僕は大体立っている事が多い。

 

ドアのところにもたれかかって、本を読んでいる。

 

明らかに電車が空いている時は、着席する。しかし、「座りたくても座れない人」が発生するであろう場合には、大体立っている。

それは、もし近くにお年寄りの人がやってきた時に、いちいち「・・あ、良かったら、どうぞ^^」

みたいな感じのやりとりをするのが面倒だから。初めから座らないようにしている。

 

 

僕はその日、電車に乗った。そして珍しく、座席に座っていた。

明らかに人がいなかったからだ。でも、都心の方へ近ずくにつれ、少しずつ人が増えてきた。

いや、知っていた。

僕は知っていた。都心に近ずくにつれ人が多くなってくることくらい。

その日は徹夜明けで、体がダルかった。

 

 

座席に座りながら、本を読んでいた。

もしお年寄りがやってきた場合にも、その存在に気づかないためにだ。はっきりいってその日は、立ちたくなかった。

その存在に初めから気づかなければ、罪悪感を感じることもなく、座り続けることができる。本を読みだすと、周りの景色が見えなくなるほどに集中してしまうので、老人の存在に気づくことはない。

 

夢中で本を読んだ。太宰治の「人間失格」だ。

 

人がどんどん増えていくことだけは足音で分かった。

それしか分からない。目の前に誰がたっているかなんて、自分には見えていない。

 

でも、今、聞こえてしまった。

老人の咳。あきらかに若者のそれではない、深みのある、ハスキーな音。

それは20年や30年、40年の生き様では鳴らすことのできない咳。

 

本からソッと目をあげると、60歳ぐらいの老人が立っていた。男性だった。

 

気づいてしまった、老人の存在に。男性は、自分の斜め前に立っていた。そこは明らかに、自分の譲りましょうテリトリーに侵入していた。

 

60歳ぐらいの老人は、山登りで活躍しそうな靴に、丈夫そうなジャケットを羽織っていた。無精髭がとても様になっている、素敵なおじいちゃん。背負っている大きなリュックも、山登りで活躍しそうだった。姿勢がとても綺麗だ。きっと山登りが趣味なんんだろう。

 

 

僕は思った。このおじいちゃんは、自分よりも足腰が強いのではないかと。

 

 

「どうぞ」なんて席を譲ったところで、このおじいちゃんは喜ぶだろうか。

ひょろひょろしたタコみたいな若者に席を譲ってもらって、嬉しいだろうか。

むしろ失礼に値する可能性もある。

 

かなり、面倒なことになってきた。

 

 

どうせなら、今にも死んでしまいそうな老人が目の前に立っていて欲しかった。すいません。

 

とりあえず老人に気づいていないフリをして、本を読むフリをした。

またその老人が咳をした。

 

・・譲って欲しいのかもしれない。僕は席を立つ事を決意した。

 

本を閉じて、顔を上げる。

そこで、もう一人の老人の存在に気づいてしまった。

山登りのおじいちゃん(山じい)の横の横に、女性が一人。

腰が曲がってしまっていて、杖をついている。休日の午後は、可愛がっている猫に話しかけながらお茶をすすっているであろう、おばあちゃん。(猫ばあ)だ。

 

どう考えても、(猫ばあ)の方が優先順位は上だ。

 

だがしかし、ここで(山じい)の存在を無視して、(猫ばあ)に声をかけた場合。(山じい)がオコかもしれない。

それに、(猫ばあ)との距離は4メートルほど離れている。朝から一言も言葉を発していないので、あそこまで声が届く自信がない。

なんだかぎこちなくなってしまって、なんだこのタコは、と思われてしまうかもしれない。

 

 

自分の横には、20代後半であろうお兄さんがスマートフォンをいじっていた。

この(スマフォーマン)が(猫ばあ)と代わって、(タコ)が(山じい)と交代すれば、一番スマートに解決する。

でもこのお兄さんはスマートフォンに夢中で、(猫ばあ)に気づく気配はない。

全然スマートじゃない男だ。タコよりも役にたたない。

 

 

だがしかし、今現在この車両で一番元気であろうタコが、一刻もはやくこの席を立たなくてはいけないという事は間違いない。

 

自分が立った時に、空いた席に誰が収まるのか。それはもう周りの人達に託そう。無言で、席を立つことにした。

 

 

すると(山じい)の横にいたであろう、おばちゃんが、椅子取りゲームが如く、空いた席に着席した。

 

 

 

 

 

妖怪イス取りばばあ)だ。

 

 勘弁してくれ。ハロウィンはとっくに終わっている。