この世界の片隅にポップコーン
大きな部屋の中にいる。
赤の他人同士が集まり、同じスクリーンを見つめる。
ある人は感情を揺さぶられ涙し、笑い、またある人は、場合によっては退屈したりもする。
左手でポップコーンをつまみながら、僕はその時、感情を揺さぶられ涙しているわけでも、退屈しているわけでもなかった。
僕は、パニックになっていた。
フカフカの椅子に腰掛け、ポップコーンをつまみながら。
ポップコーンを購入したのは、何年かぶりだった。
いつもは買わない。買おうかな、とも思わない。
でも今日は、激しくお腹が空いていたので、ポップコーンを買う事にしたのだ。
もちろん、ホットドックという選択肢もあった。ポップコーンは本来、空腹を埋める事を目的とした食べ物ではない。
でもなぜか、僕はポップコーンを選んだ。
普段は買わないポップコーンを脇に抱え込み、僕はスクリーンに向かった。
上映時間よりも早めに席に着いた僕の周りには、まだ人は少なく、両隣にはまだ誰も着席していない。
ゆっくりと席に腰掛けて、ポップコーンを右手にあるポップコーン置き場に装着した。
久しぶりに食べるそれは、ほんの少し味が薄くて、少しだけ、購入したことを後悔した。
上映時間が近づくにつれて、人が多くなっていく。
僕の両隣の席が、埋まった。
右手におじさん、左手にもおじさんだった。
今日見に来たのは、「この世界の片隅に」だ。
先に感想を言ってしまうけれども、本当に素晴らしかった。
一人でも多くの人に、見て欲しいなと思った。
ふっ、と照明が落ちる。
僕は小さく深呼吸した。真っ暗なスクリーンに、予告が写し出される。ポップコーンの存在などすっかり忘れてしまい、僕はスクリーンに引き込まれる。
映画館で映画を見るのが好きだ。
映画は自分にとっては「旅」のようなもので、幕開けとともに、一瞬にして僕を別世界へ連れ出して行く。
エンドロールはその旅の終点。最後の一文字が消えるその瞬間、旅の余韻を損なわないように、会場の明かりはさりげなく、ゆっくりと点るのが良い。
ゆっくりと。
ゆっくりと、さりげなく、そっと。
そう、まさにそのように・・・僕のポップコーンは、左にいるおじさんの口元に、ゆっくりと、さりげなく、そっと運ばれていった。
最初の一粒目には気付けなかった。
どうして最初の一粒目で気付けなかったのかと後悔している間にも、侵略はドンドン進んでいる。勢いが止まらない。
僕のポップコーンを、左の見知らぬおじさんが、食べている。
僕はこの事実を、受け止めきれないでいる。
この世界の片隅で、今まさに僕のポップコーンが、おじさんのモノになろうとしている。食い止めなければ。
おそらくもう、何粒も食べてしまってるのであろう。随分と減ってしまっている。僕よりも食べているかもしれない。
恐る恐る、僕もポップコーンに手を伸ばす。食べる。
気づいていないのか、そのほんの5秒後には、おじさんはまた僕のポップコーンに手を伸ばした。
もう一度慎重に、ポップコーンを一粒食べる。自分が購入したポップコーンを、こんなにもコソコソと食べなければいけない日が来るとは、夢にも思っていなかった。
それでも、おじさんの勢いは止まらない。目はスクリーンにまっすぐ向けられていて、離れない。今まさに、「旅」の途中なのだろうか。羨ましい。
僕は、ポップコーンの事で頭がいっぱいだ。
今更「このポップコーンは僕のものです!」と大声で主張したところで、もう遅い。
すでに奪われてしまった、何粒ものポップコーンたちは帰ってこない。
それに、この静寂な暗闇の中。映画の上映中に、見知らぬおじさんにポップコーンの所有権を主張するような勇気は出ない。
このおじさんがもし、故意に僕のポップコーンを奪っているのだとしたら、言い争いになってしまうかもしれないし、なんせ映画の上映中なので、それだけは避けたい。
まず何よりも、僕はここにポップコーンを食べに来たわけではないのだ。
そう、映画を見に来たのだ。
ついさっきまで、ポップコーンを購入したことを少し、後悔していたではないか。
こうして、左手のおじさんとポップコーンに意識を奪われている間にも、スクリーンの中の物語は進んでいる。
集中しなくては。
映画は僕にとって、「旅」なんだろ?
今さっきそんなふうに、気取っていたではないか。
僕は大きく深呼吸をした。
そこでふと、右手にもポップコーンがある事に気付いた。
右手のおじさんのモノだろう・・。
だがしかし、全然減っていない。
少し不安になった。
もし、この右手にあるポップコーンが僕のモノで、左手のポップコーンがおじさんのモノだとしたら。
思い出してみる。
僕は、右手でつまんだポップコーンを、ゆっくりと、さりげなく、そっと左手のポップコーンへと移動させる。
ポップコーンジャックの犯人は、僕だった。
「この世界の片隅に」僕を見つけてくれてありがとう。
早朝のコンビニに、変な男
早朝のコンビニにやってきた。
変な男がいる。
昨日は、いつも通り特に予定もなく、昼過ぎまで平気で寝ていた僕は、夜眠りにつく事が出来なかったので、0時頃からひたすらに本を読んでいた。
読んでいればそのうちに眠たくなるだろうと思い読み始めたのだけれども、一冊読み終え、そして二冊読み終え、
昨日買った雑誌「SWITCH」の特集、樹木希林といっしょ。
も読み終えてしまって、気がついたら朝になっていた。
窓を開けると、鳥の鳴き声と清々しい朝の匂いがする。
とりあえずまだ眠くなかったので、散歩に出かけることにした僕は、帰り道、近所のコンビニに寄った。
そしてその、早朝のコンビニに、変な男がいる。
年齢はおそらく自分と同じくらいで、男だ。
買い物かごを持っている。
カゴの中には、コンビニ弁当と、牛乳が入っている。
朝ごはんだろうか。しかし、その弁当と牛乳はどう考えても相性が悪い。
朝、牛乳を飲みたくなる気持ちはよく分かる。
だからといってその、「唐揚げ弁当と牛乳」では相性が悪すぎる。
唐揚げ弁当が必要なぐらいの空腹であるならば、牛乳を諦めて、飲み物は水かお茶にするべきだ。
どうしても牛乳が飲みたいのであれば、その突き当たりを左に曲がったところにある
パンコーナー
で、パンを買うべきだ。
「そこを左に曲がったところにパンコーナーがありますよ。」
と、言ってしまいたい気持ちを紛らわすために、とりあえず目の前にある野菜コーナーから大好きなトマトを手に取った。
その男は牛乳と弁当を入れたカゴを手にしたまま、右に曲がり、雑誌コーナーに向かった。
そして雑誌コーナーで、立ち読みを始めた。
手にしたのは、
雑誌「SWITCH」の特集、樹木希林といっしょ。だった。
僕がさっき読んでいたやつだ。映画が好きなのだろうか。
パラパラとページをめくっている。
横目に、樹木希林の切なげな表情(写真)が一瞬見えた。
そのページをその男は、ほんの2秒程度で、次のページにめくる。
いやちょっと待ってくれ、そのページはそんなほんの数秒でめくって良いようなページではない。ちゃんと読んでほしいページだ。
咳払いで威圧をかけた。
しかし、その変な男は構わず、未だにパラパラとページをめくり、雑誌は終盤に差し掛かっている。
そしてそのまま、僕の願いは届かず、
雑誌「SWITCH」の特集、樹木希林といっしょ。
は雑誌コーナに戻された。
僕はこのやりきれない気持ちを紛らわすために、手に持っていた雑誌「プレジデント」を雑誌コーナに戻し、横にあったドリンクコーナーからブラックコーヒーを手に取った。
早朝のコンビニで、最悪の組み合わせ、「唐揚げ弁当と牛乳」を買い物カゴに入れ、
「SWITCH」の特集、樹木希林といっしょ。
を適当にあしらったその男は、そのまま会計を済ませて、コンビニから出て行った。
全く変な男だった。
ふと店内の時計を見ると、コンビニに入ってから20分が経とうとしている。
眠気も、やってくる。
このまま真っ直ぐ家に帰って、燃えるゴミを出した後、布団に入れば、きっと安らかに眠りにつくことができるだろう。
そのまま僕はレジに向かう。
そして、レジに並べられた
「トマトとブラックコーヒー」の、その相性の悪さに僕は言葉を失った。
早朝のコンビニには、変な男しかいない。
厄年。
厄年。
今年も、もう約4ヶ月が経過して、一年の三分の一が終わってしまった。
「厄年なんて関係ね〜からー♪」と、普段は強がっているけれども、実は結構警戒していたりする。
とりあえずこの4ヶ月。
これといって特には目立った災難もなく、平和に過ごさせていただいた。
神様ありがとう。
だがしかし、油断はできない。
なぜなら、災難は自分に降りかかるモノとは、限らないからだ。大事な人の災難は自分にとっての不幸でもあると思うので、「最近どうなん?」みたいな連絡をこの一年はかかせない。どうか、うざがらないでほしいと思う。
こないだ、久しぶりの友達に電話をしてみた。
小学生の頃からの友達。
その頃は毎日のように銭湯に通い、同じえろ本から、インスピレーションを共有した。
一年ぶりの電話で、お互いに、近況報告をし合った。
そしてなぜか、二人で温泉旅行に行くことになった。
男二人で温泉旅行だ。
これはもしかしたら、災難のはじまりなのかもしれない。
昔は一緒に銭湯に通っていたけれども、今ではフラっと温泉に行くまでに、僕たちは成長してしまった。
立派に社会人をやっているそいつは、僕の旅費を援助してくれる。
いや、成長しているのは友達だけだった。なんてことだ。
僕は、友達の安否を確認するとみせかけて、そいつからお金を恵んで貰うという最低な人間だったのだ。ちゃんとお返ししなければ。
もしも、お風呂上りに卓球をすることになったとしたら。
僕は、高校時代の青春を「硬式テニス」に全て捧げた。その為、卓球も割と達者である。
だがしかしここは、援助されている身。
ギリギリまで良い試合を展開させて、ちゃんと最後は負けてあげよう。
それに、もちろん、宿までの車の運転は僕が担当する。
免許を取得してから約1年半。車には一度しか乗っていないが、どうか僕にそのお気に入りのマイカーと、
命を預けてほしい。
厄年はまだまだ、終わらない。
贅沢な、望み。
金銭的に、ギリギリの生活がしばらく続くと、ファッションにお金を使う機会が、どんどん減ってくる。
おしゃれな人達は、きっと少ない予算の中でも自分の着たい服をしっかり着て、ファッションを楽しんだりすることができるのだろう。
でも自分は、そういう高度なテクニックを持ち合わせていない。
自分が着ている服の、ユニクロ率の高さが、それを物語っている。
そもそも、服に対してのこだわりは比較的少ない方だったので、それは、どんどんユニクロになっていく。
でも、気づいてほしい。
この現象は、「ユニクロの服の耐久性の高さ」が、原因なのである。
僕は、新しい服を買うぐらいだったら、CDとか本、楽器などを買う方にお金を回したいと思ってしまう。この3年ぐらい、新しく服を買った覚えがあまりない。
買っていたとしても年に1着か2着だと思う。あと下着ぐらい。
高校生の時に買ったパーカーとかを、未だに来ている。
女の子達は、もちろん、ドン引きである。
同じ服を何度も来ているということになる。
でも一応自分なりに、気に入っている服しか持っていないつもりだし、その服が、服の原型をとどめる限りは、何度でも着たいと思っている。
しかし、何年も、何度も同じ服を着る。洗濯をする。
それを繰り返すと、服はヨレヨレになってしまい、着れなくなってくる。
服達の、生き残りをかけた、サバイバルゲーム。
その戦いに、高確率で生き残るのが、チーム「ユニクロ」なのだ。
自分も、ユニクロの服のような、耐久性のある男になりたい。
そんな気持ちで、今日もユニクロの服を身にまとう。
僕は、「ユニクロ」を、毎日、選択(洗濯)しているのだ。
ここで再び、ドン引きである。
そして何より、世界の錦織が。俺達の錦織が、ユニクロのユニフォームを身にまとい、一生懸命戦っている。
着ている服は一緒なのだから、自分だって錦織のように、一生懸命何かと戦っていきたい。
いやでも正直、そんな事より、おしゃれを十分に楽しめるぐらいには、ちゃんと稼ぎたい。
でもこれはきっと、ものすごく贅沢な、望みなのだろう。
初めての、二人暮らし。
今僕は、友人【29歳男性】と、一緒に暮らしている。
なぜ、こうなってしまったのか。
友人は、どうしても、自分の家には帰りたくないと言う。
話を聞くと、最近、彼のマンションの隣に住んでいる住人の精神状態が、どうやら良くないらしい。
こないだ、朝起きたら、ポストの穴から部屋を覗かれていたという。
そして、逃げるように彼は、僕の家にやってきた。
そりゃそうだと思った。
次に住むマンションはもう決まっているのだけれども、契約が始るまでのわずかな時間さえ、今の家には住みたくないと言う。
ものすごく納得したし、共感できたので、今一緒に住んでいる。
彼は、仕事などで、ほとんど家にはいない。ただ寝るためだけに帰ってくる。
御飯時には、牛丼などを、買って帰ってきてくれたりする。
初めての(仮)二人暮しだ。
いや、こんなはずじゃなかった。
自分が思い描いていた、『初めての二人暮し』とは、あまりにもかけ離れすぎている。
東京には、本当に、色々な人がいる。
友人の話を聞いて、改めてそう思った。
自分にも、そんな経験がある。
遡ること、一年と半年。初めて、この街にやってきた日。
知り合いもいなく、仕事もなく、本当に何一つとして、頼れるものがなかったあの日。
僕は深夜2時頃に、近所を散歩していた。
もちろん一人で。
寂しいとか、不安で眠れないとか、そういう感情ではなかった。
ただ、近所にあるコンビニと、自動販売機の場所の確認が目的の散歩だった。
それがたまたま、深夜の2時になってしまっていただけの話。
僕は、IPhoneにイヤホンジャックを差し込んで、
くるりの『東京』という曲を流していた。
東京の街に出て来ました
あい変わらずわけの解らない事言ってます
この曲を聴くといつも、どうしようもなく切ない気持ちになってしまう。
しかしそれと同時に、どこから湧いてくるのかは解らないが、果てしないパワーを、自分から感じる事ができる。
切なさは、時に、前に進む為の力になる。
「切ない」という感情は、好きだ。
「悲しい」とは違う。
悲しくて、苦しくて、自殺してしまう人は沢山いる。でも、切ない気持ちから、死んでしまった人は、この長い人類の歴史の中で未だかつて、一人もいないと思う。
切なさには、生きる力がある。そう思う。
悲しかったり、苦しいと感じてしまう時は、絶対にある。でも僕は、その気持ちをできるだけ、自分の中で「切なさ」に還元するようにしている。
そしてあの日僕は、くるりの東京を聞きながら、切ない気持ちと一緒に散歩していた。
しばらく歩いていると、前から、一人の男性が歩いてきた。
フラフラと、ヨロヨロと、酔っ払っているのだろうか、
「俺に帰る場所はない。この星にはもう、どこにもない!おい火星!!そっちはどうだい!?おい!!」
みたいな事を、夜空に向かって叫んでいた。
完全に切ない。
なんだか自分にも、帰る場所など無いように、そう思えてしまった。
そして、気がつけば一緒に、火星を見上げていた。
どれが火星なのかは、よくわからなかった。
友人から、「ポストからどうも、おはようおじさん」の話を聞いて、
あの人の事を、あの日の事を思い出した。
でもあの人は、もしかしたらただの火星人だったのかもしれない。
- 仕事で、地球にやってきたが、
- 単身赴任先のマンションの隣に住んでいる人の精神状態がどうやら良くないらしくて、
- 朝起きたら、ポストから部屋を覗かれ、
- しかし頼れる人など、まだ地球には誰一人いなくて、心細くでどうしようもない気持ちになってしまい、
- 故郷の火星に向かって、テレパシーで愚痴をこぼしていた、
ただの、火星人だったのかもしれない。
あい変わらずわけの解らない事を言っているのは、僕だけだったのかもしれない。
それにしても。
今、隣で眠っている地球人の友人には、ちゃんと頼れる場所があった。良かった。
あの火星人は、元気にしているのだろうか。
帰る場所を、ちゃんと見つける事が、出来たのだろうか。
くるりの「東京」を聴きながら、あの日の事を思い出し、僕は深夜にブログを書く。
そういえば、僕の家があるこの街は、「埼玉」だった。
その事を思い出して、なんだかもっと、切なくなった。
健康な体
三日ほど前。朝起きた瞬間に、背中に強い痛みを感じた。
起き上がるのが辛いほどの痛みで、何の身に覚えもなかった。
左腕がスムーズに上がらない。
息を吸うとズキズキと痛んで、深呼吸ができなかった。
僕はただただ怯えてしまった。
背中の痛みは、大きな病気のサインだったりすると、何かの本で読んだ事がある。
ひたすらに怯えた。
僕は、健康が失われることを、ずっと恐れていた。
このまま背中の痛みが消えなかったら・・。
息をたくさん吸えないし、笑うと痛い。今日から毎日、笑うことがストレスになってしまう。笑う為に、面白いことを見つける為に毎日生きているようなものなのに、それを奪われてしまうなんて。
どうして今まで僕は、もっと笑っておかなかったのだろう。この23年間、もっと笑えたはずだった。
いつかこうなる事はわかっていたはずだ。人間はいつまでも健康な体ではいられない。
あと数十年もすれば確実に死んでしまうわけだし、それよりも前にきっと、身体はどんどん不自由になっていくであろう事も、知っていた。
でも、こんなに急に、若くして笑う事を奪われてしまうなんて、予想していなかった。何も考えずに笑えていた日々が、深呼吸できていた昨日までの日々が、とても輝かしく思えた。
明日必ず、病院に行こう。もしかしたらそのまま、緊急入院かもしれない。
もし退院できる日がきたら、思う存分笑ってやろう。
やりたい事を思いっきり全力で楽しんで、いっぱい深呼吸しよう。
もう一度健康な体を取り戻す事さえできれば、僕はきっと、誰よりも努力するだろう。何事にも一生懸命に全力で、その気になれば、何にでもなれるだろう。だから神様どうか、もう一度僕に、健康な体を・・。
次の日の朝も、やはり背中は痛んだ。スムーズに起き上がれない。
僕は確信した。これはとんでもない病だと。
そのまますぐ、病院に行った。
肋骨の骨折の可能性があるとの事で、レントゲン写真を撮った。
そんなはずはない。骨折するほどの衝撃を受けた覚えは、全くない。
何も異常が見られないと言われた。当然だ。
そして、お医者さんは
『ただの筋肉痛ですかね☆』
と言った。
耳を疑った。
ただの筋肉痛?
背中の筋肉を使った覚えもないと、必死に訴えた。
『だとすると、帯状疱疹かなー。』
体内に、水疱瘡のウイルスが感染する病気だという。疲れた時や、大きなストレスを感じた時に発症するらしい。
特に特別疲れた覚えも、小さなストレスさえも、感じた覚えが全くない。
ただそういえば、痛みが発生した前日の朝。ものすごく変な体勢で寝てしまっていた事を思い出した。
あれなのか?変な体勢で眠ってしまって、普段使わない筋肉を使い、痛めてしまったが故の、筋肉痛なのか?
いやそんなわけがない。きっと帯状疱疹ってやつだ。それだ。気づかないうちに、僕は疲れてしまっていたのだ。ストレスを感じてしまっていたのだ。
全く、気づかないうちに。
痛みどめと、抗ウイルス剤の薬を貰って帰宅した。
薬を飲むと、痛みが消えた。
そして痛みは、日を重ねるごとに、消えていった。
今日なんてもう、全く痛みを感じない。
帯状疱疹の特徴である、水ぶくれは、いつまでたっても発生しない。
抗ウイルス剤が、バカみたいに効いているのかもしれない。そうだ、きっとそうだ。
抗ウイルス剤が、効きやすい体なのかもしれない。良かった。
ただの筋肉痛なわけがない。
僕は、健康な体を、取り戻した。
アクセスの良い場所
最近、自転車に乗っていない。
僕は自転車が好きだ。
こっちに引っ越してくる前は、毎日のように自転車を乗り回していた。
例えば用もなく、ちょっと河川敷の方へ、自転車でドライブに行った。
そのタイミングで、たまたま友達から電話がかかってきたりした。
何をしているのかと聞かれると、正直に、「河川敷に一人で座っている」と答えた。その度に、精神状態を心配されたりした。優しいやつらだなと、思った。
でもただ自分は、自転車に乗って河川敷に行って、川を眺めながら座っていたかったのだ。心配は不要だった。
地元に、お気に入りの場所があった。
河川敷の階段。川が見えて、空がとても広く見える場所。
そこによく一人で行っては、ボーーっとしていた。
その場所に行くと、落ち着いた。頭の中で色々な事が整理されて、昔の自分と、今の自分が繋がるような気がした。
人生の途中で。自分はそのどこかのタイミングで、中身が違う人間になってしまったのではないだろうかと、思う時がある。違う人間になる必要が、あったのではないかと。
それは成長とも言えるし、退化とも言える。ただの変化なのかもしれない。
それが、これからもずっと続いていくのだと思うと、ゾッとした。
だから僕は時々、あの場所に行って、「自分の人生はずっと一本の線で繋がっているのだ」という事を、確認しなくてはいけなかった。
今はもうその場所に、気軽には行けなくなってしまった。
自転車にも、気軽には乗れなくなってしまった。
なぜなら今の家の周りには、とても坂が多いのだ。
自転車に乗って、あの場所に行って、「自分の人生はちゃんと一本の線で繋がっているのだ」という事を確認しなくては、などとは言ってはられない。
自転車だっるー、という気持ちが勝ってしまう。
それもまた、変化だ。
確認する必要がなくなってしまった。確認しなくても、ある程度前に進めるように、なってしまった。大人になったとも言えるし、ただ鈍感になってしまっただけなのかもしれない。
それでも僕は、これからも変化し続けなくてはならない。その力には、逆らえない。
確認する必要がなくなってしまったとしても。
あの場所の代わりになるような所を、この街でもちゃんと見つけたい。
次はアクセスの良い場所が、良い。