東京のカタスミで、

山城ショウゴ

初めての、二人暮らし。

今僕は、友人【29歳男性】と、一緒に暮らしている。

 

 

なぜ、こうなってしまったのか。

友人は、どうしても、自分の家には帰りたくないと言う。

 

 

話を聞くと、最近、彼のマンションの隣に住んでいる住人の精神状態が、どうやら良くないらしい。

こないだ、朝起きたら、ポストの穴から部屋を覗かれていたという。

そして、逃げるように彼は、僕の家にやってきた。

そりゃそうだと思った。

 

 

次に住むマンションはもう決まっているのだけれども、契約が始るまでのわずかな時間さえ、今の家には住みたくないと言う。

 

 

ものすごく納得したし、共感できたので、今一緒に住んでいる。

 

 

彼は、仕事などで、ほとんど家にはいない。ただ寝るためだけに帰ってくる。

御飯時には、牛丼などを、買って帰ってきてくれたりする。

初めての(仮)二人暮しだ。

 

いや、こんなはずじゃなかった。

自分が思い描いていた、『初めての二人暮し』とは、あまりにもかけ離れすぎている。

 

 

 

東京には、本当に、色々な人がいる。

友人の話を聞いて、改めてそう思った。

自分にも、そんな経験がある。

 

 

 

遡ること、一年と半年。初めて、この街にやってきた日。

 

知り合いもいなく、仕事もなく、本当に何一つとして、頼れるものがなかったあの日。

僕は深夜2時頃に、近所を散歩していた。

もちろん一人で。

寂しいとか、不安で眠れないとか、そういう感情ではなかった。

ただ、近所にあるコンビニと、自動販売機の場所の確認が目的の散歩だった。

それがたまたま、深夜の2時になってしまっていただけの話。

 

 

僕は、IPhoneにイヤホンジャックを差し込んで、

くるりの『東京』という曲を流していた。

 

 

 

     東京の街に出て来ました

 

     あい変わらずわけの解らない事言ってます   

 

                          

 

 

この曲を聴くといつも、どうしようもなく切ない気持ちになってしまう。

しかしそれと同時に、どこから湧いてくるのかは解らないが、果てしないパワーを、自分から感じる事ができる。

 

切なさは、時に、前に進む為の力になる。

「切ない」という感情は、好きだ。

「悲しい」とは違う。

悲しくて、苦しくて、自殺してしまう人は沢山いる。でも、切ない気持ちから、死んでしまった人は、この長い人類の歴史の中で未だかつて、一人もいないと思う。

切なさには、生きる力がある。そう思う。

 

 

悲しかったり、苦しいと感じてしまう時は、絶対にある。でも僕は、その気持ちをできるだけ、自分の中で「切なさ」に還元するようにしている。

 

 

そしてあの日僕は、くるりの東京を聞きながら、切ない気持ちと一緒に散歩していた。

 

 

 

しばらく歩いていると、前から、一人の男性が歩いてきた。

 

 

フラフラと、ヨロヨロと、酔っ払っているのだろうか、

 

俺に帰る場所はない。この星にはもう、どこにもない!おい火星!!そっちはどうだい!?おい!!

 

 

みたいな事を、夜空に向かって叫んでいた。

 

 

 

完全に切ない。

 

 

なんだか自分にも、帰る場所など無いように、そう思えてしまった。

そして、気がつけば一緒に、火星を見上げていた。

どれが火星なのかは、よくわからなかった。

 

 

 

 

 

友人から、「ポストからどうも、おはようおじさん」の話を聞いて、

あの人の事を、あの日の事を思い出した。

 

 

 

でもあの人は、もしかしたらただの火星人だったのかもしれない。

  • 仕事で、地球にやってきたが、
  • 単身赴任先のマンションの隣に住んでいる人の精神状態がどうやら良くないらしくて、
  • 朝起きたら、ポストから部屋を覗かれ、
  • しかし頼れる人など、まだ地球には誰一人いなくて、心細くでどうしようもない気持ちになってしまい、
  • 故郷の火星に向かって、テレパシーで愚痴をこぼしていた、

ただの、火星人だったのかもしれない。

 

 

 

あい変わらずわけの解らない事を言っているのは、僕だけだったのかもしれない。

 

 

 

 

それにしても。

今、隣で眠っている地球人の友人には、ちゃんと頼れる場所があった。良かった。

 

あの火星人は、元気にしているのだろうか。

 

帰る場所を、ちゃんと見つける事が、出来たのだろうか。

 

 

くるりの「東京」を聴きながら、あの日の事を思い出し、僕は深夜にブログを書く。

 

 

  

 

 

そういえば、僕の家があるこの街は、「埼玉」だった。

 

その事を思い出して、なんだかもっと、切なくなった。